佐世保のホテルでの研修期間が終わり、
私は実家に戻りました。
3年間、
外で学び、
現場を見て、
自分なりに準備をしてきたつもりでした。
「これで、やっと役に立ってる」
そんな思いも、
正直、ありました。
しかし、
現実は、
すぐにその期待を裏切られました。
現場にあっても、
自分の意見が求められることはない。
提案しても、
結局になる前に終了します。
ちなみに、
女将とは、
最初から何一つかみ合いませんでした。
考え方も、
判断の基準も、
見ている方向も違う。
衝突は、
一度や二度ではありません。
そんな中で、
決定的な出来事が起きます。
女将が、
料理長の中村さんをやめさせる
と言いました。
中村さんは、
ただの従業員ではありませんでした。
父が育て、
父が信頼し、
父の代わりに
現場を支えてきた人。
料理の技術だけでなく、
仕事の姿勢や空気も含めて、
父が残した財産だと思います
、私は思っていました。
したがって、
その判断には、
どうしても納得できませんでした。
売上や効率の話ではない。
感情論はない。
父が人生をかけて積み上げたものを、
簡単に切る判断だけは、
許せなかった。
私は、
はっきりと反対しました。
それは現場を壊す判断だ。
父の仕事を否定することになる。
そう伝えました。
しかし、
話は聞き入れられませんでした。
すでに、
決まっていることだった。
その瞬間、
私は理解しました。
ここでは、
「守るべきもの」が
共有されていません。
続くとは、
建物や名前を引き継ぐことはない。
人と、考え方と、積み重ねた時間を
ためたことだ。
それが意識しない現場に、
自分が立ち続ける意味はない。
だから私は、
決めました。
中村さんを切るなら、
自分も一緒に去る。
感情的な反発ではありません。
意地でもありません。
父が残したものを
自分の代で否定しない。
そのための、
決断でした。
私は、
実家を離れることになりました。
継いで決めて戻ったはずなのに、
守れない場所には、
居続けられなかった。
その後、
私は北九州へ向かいます。
そこには、
友達がいました。
そこで、
何も背負わずに設置場所が
必要でした。
この出来事は、
その後、
経営をする立場になった私の
大きな軸になります。
人を切る時、
効率だけで判断しない。
数字の裏にある
「時間」を無視しない。
父が残した財産を、
自分の代で
軽く扱わない。
この時、
私はまだ何者でもありませんでした。
ただ、
恩と縁は大事にしようと
はっきりと決めました。