実家を継ぐと決めて戻りました。
覚悟はありました。
逃げなくても決めました。
でも、
どうすればいいのかは、
本当に分かっていませんでした。
旅館には、
日常がありました。
予約が入って、
客が来て、
料理が出て、
掃除があり、
一日が回っていく。
それでも、
自分がどこに立って、
何を担い、
何から手を付けてもいけないのか。
それが、
まったく見えなかった。
父のように、
場を信じる力はない。
判断の経験もない。
人を引く言葉もない。
「継ぐ」と決めたのに、
自分は、
何もできない人間だった。
その事実が、
静かに、しかし重くのしかかってきました。
母も、
叔父も、
私に細かい指示は出しませんでした。
期待されていたのか、
様子を見られていたのか
。
ただ、
このまま実家にいても、
中途半端な存在で終わる。
それだけは、
はっきりしていました。
だから私は、
外に出ることを選びました。
現場を知るために。
そして、
自分の立ち位置を作るために。
行き先は、
佐世保のホテルでした。
営業の研修として、3年間
そこで修行することになりました。
「一からやり直す」には、
ちょうどいい時間でした。
ホテルの仕事は、
旅館と大きさは違うけど似ていました
仕組みがあり、
役割があり、
数字があり、
評価があります。
感覚ではなく、
直感で動く。
経験ではなく、
手順で進んでいきます。
私は、
そこで初めて、
「仕事としてのサービス」を
体系的に学びました。
ビジネスとは何か。
価値をどう伝えるのか。
相手の立場で考えるとはどういうことか。
最初は、
戸惑うことばかりでした。
音楽の世界も、
実家の旅館も、
違う。
でも、
この矛盾こそが、
必要だったのだと思います。
実家に戻った時、
私に残っていた現実は、
覚悟だけで、能力が伴っていない自分でし
た。
ただし、
一度、外で学びます。
逃げるためではなく、
戻るために。
佐世保での3年間は、
私にとって、
遠回りでも、
寄り道でもありません。
後に、
実家に戻って
本当に向き合うための、
準備期間でした。
この時の私は、
まだ知りません。
この3年間が、
その後の経営人生で、
何度も自分を救うことになることを。
ただ、
意識せずに、
前に進んでいきました。
それだけは、
確かでした。