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《第17話》それぞれが、別の場所で生き延びていた。そして、私は音に戻った

《第17話》それぞれが、別の場所で生き延びていた。そして、私は音に戻った

父が亡くなったあと、旅館は、母と叔父が中心となって切り盛りされるようになりました。 誰か一人が父の代わりになる、という形ではありません。 役割を分け、できることを持ち寄り、日々を回す。 無理をしながらも、家は続いていました。 一方で私は、家とは少し距離のある場所にいました。 実は、音楽は突然始めたものではありません。 ギターを手にしたのは、中学生の頃です。 きっかけは、従妹の姉さんからギターをもらってからです。 言葉を使わなくても、気持ちを外に出せる。うまく説明できない感情を、そのまま鳴らせる。 私は高校生になりバンドを組みました。 学校の友人と集まり、音を合わせ、下手なまま、ただ夢中で弾く。 上手いかどうかより、そこに居られることが大事でした。 旅館の家。期待される立場。町の視線。 そういったものから、少しだけ離れられる場所が、音の中にあった。 昭和はエレキギターとロックは不良と言われる時代で旅館のバカ息子と言われてました。 現実と折り合いをつけながら、でも、ギターだけは手放さなかった。 そして、父が亡くなり、家の空気が変わり、自分の立ち位置が分からなくなった時、私は、自然と音の方へ戻っていきました。 大学には通っていましたが、気持ちは、そこにありませんでした。 考えた末、私は大学を辞めました。 そして、バンドに没頭しました。 プロの音楽家を目指す、という言葉を使えば、少し大げさに聞こえるかもしれません。 でも、その時の私は、それしか選べなかった。 家を支える準備もできていない。現実を背負う覚悟もない。 それなら、自分が一番長く触れてきたものに、一度、賭けてみようと思った。 音を出している間だけ、頭が静かになる。 過去も、未来も、少し遠くに置ける。 母からはバンドを辞めて帰って来なさいと散々言われましたが、私には聞く耳が全くなかったと思います。

《第17話》それぞれが、別の場所で生き延びていた。そして、私は音に戻った

父が亡くなったあと、旅館は、母と叔父が中心となって切り盛りされるようになりました。 誰か一人が父の代わりになる、という形ではありません。 役割を分け、できることを持ち寄り、日々を回す。 無理をしながらも、家は続いていました。 一方で私は、家とは少し距離のある場所にいました。 実は、音楽は突然始めたものではありません。 ギターを手にしたのは、中学生の頃です。 きっかけは、従妹の姉さんからギターをもらってからです。 言葉を使わなくても、気持ちを外に出せる。うまく説明できない感情を、そのまま鳴らせる。 私は高校生になりバンドを組みました。 学校の友人と集まり、音を合わせ、下手なまま、ただ夢中で弾く。 上手いかどうかより、そこに居られることが大事でした。 旅館の家。期待される立場。町の視線。 そういったものから、少しだけ離れられる場所が、音の中にあった。 昭和はエレキギターとロックは不良と言われる時代で旅館のバカ息子と言われてました。 現実と折り合いをつけながら、でも、ギターだけは手放さなかった。 そして、父が亡くなり、家の空気が変わり、自分の立ち位置が分からなくなった時、私は、自然と音の方へ戻っていきました。 大学には通っていましたが、気持ちは、そこにありませんでした。 考えた末、私は大学を辞めました。 そして、バンドに没頭しました。 プロの音楽家を目指す、という言葉を使えば、少し大げさに聞こえるかもしれません。 でも、その時の私は、それしか選べなかった。 家を支える準備もできていない。現実を背負う覚悟もない。 それなら、自分が一番長く触れてきたものに、一度、賭けてみようと思った。 音を出している間だけ、頭が静かになる。 過去も、未来も、少し遠くに置ける。 母からはバンドを辞めて帰って来なさいと散々言われましたが、私には聞く耳が全くなかったと思います。

《第16話》父の死。 そして、知らなかった顔が現れた

《第16話》父の死。 そして、知らなかった顔が現れた

父が亡くなったことで、家の中から、一つの軸が消えました。 判断する人。場を考える人。人を集めていた中心。 それが突然なくなり、残された私たちが、悲しむ間もなく、現実に向き合うことになります。 旅館は続いている。レストランもある。名物の鰻も、毎日焼かれている。 止めるわけにはいかない。止める方も、誰も知らなかった。 そんな中で、父が確かに残していたものがありました。 三人のお弟子さんです。 中村友文。中村健吾。中村勇。 父の技術を知り、父のやり方を、父が言葉にしなかった判断基準を、体で受け取った人たち。 父は、将来の話は多く語る人ではありませんでした。 それでも、人を育てることだけは、手を加えなかった。 それが、父なりの備えだだったと思います。 時々、父が亡くなってから、初めて表に出てきた事実もありました。 愛人の存在です。 生前には、誰も口にしなかった事。 父の死後、その人が現れ、私たちは、父の知らなかった一面と向き合うことになりました。 まず、驚きはありました。 戸惑いも、混乱もありました。 ただ、怒りや否定よりも先に、頭に浮かんだのは、こういう感覚でした。 昭和という時代は、 そういう時代だったのだろう。 今の価値観で測れば、受け入れたいこともあります。 それにしても当時は、仕事に全てを注ぎ、家の外に顔を持つ男が、無かった時代。 正しいかどうかではなく、現実として、そういう空気の中で父は生きていた。 私は、父を美化したいわけではありません。 英雄にするつもりはない。 ただ、父は一人の人間で、強さもあれば、弱さもあった。 それを、死後にまとめて知ることになった。 不思議なことに、この事実を知ったことで、父が少しだけ現実の人間に戻った気がしました。 町の中心にいる人。親分肌で、誰からも頼られていた人。 同時に、矛盾を抱え、完璧ではない一人の男。...

《第16話》父の死。 そして、知らなかった顔が現れた

父が亡くなったことで、家の中から、一つの軸が消えました。 判断する人。場を考える人。人を集めていた中心。 それが突然なくなり、残された私たちが、悲しむ間もなく、現実に向き合うことになります。 旅館は続いている。レストランもある。名物の鰻も、毎日焼かれている。 止めるわけにはいかない。止める方も、誰も知らなかった。 そんな中で、父が確かに残していたものがありました。 三人のお弟子さんです。 中村友文。中村健吾。中村勇。 父の技術を知り、父のやり方を、父が言葉にしなかった判断基準を、体で受け取った人たち。 父は、将来の話は多く語る人ではありませんでした。 それでも、人を育てることだけは、手を加えなかった。 それが、父なりの備えだだったと思います。 時々、父が亡くなってから、初めて表に出てきた事実もありました。 愛人の存在です。 生前には、誰も口にしなかった事。 父の死後、その人が現れ、私たちは、父の知らなかった一面と向き合うことになりました。 まず、驚きはありました。 戸惑いも、混乱もありました。 ただ、怒りや否定よりも先に、頭に浮かんだのは、こういう感覚でした。 昭和という時代は、 そういう時代だったのだろう。 今の価値観で測れば、受け入れたいこともあります。 それにしても当時は、仕事に全てを注ぎ、家の外に顔を持つ男が、無かった時代。 正しいかどうかではなく、現実として、そういう空気の中で父は生きていた。 私は、父を美化したいわけではありません。 英雄にするつもりはない。 ただ、父は一人の人間で、強さもあれば、弱さもあった。 それを、死後にまとめて知ることになった。 不思議なことに、この事実を知ったことで、父が少しだけ現実の人間に戻った気がしました。 町の中心にいる人。親分肌で、誰からも頼られていた人。 同時に、矛盾を抱え、完璧ではない一人の男。...

《第15話》 忙しさの裏で、家族の距離が少しずつ変わっていった。そして、電報が届いた

《第15話》 忙しさの裏で、家族の距離が少しずつ変わっていった。そして、電報が届いた

旅館とレストランが回り、売上が伸び、人の出入りが増えるにつれて、家の中の時間は、少しずつ変わっていきました。 忙しさは活気でもありましたが、同時に、家族が揃う時間を静かに削っていく。 食卓に全員が揃うことは減り、会話は、要件だけになっていく。 誰かが悪いわけではありません。ただ、止まらなかった。 商売が順調な時ほど、止まる理由はない。その前提が、家の中にも浸透していました。 私は高校を卒業し、大学へ進学しました。 家を離れ、外から実家を見るようになっても、状況は大きく変わらないように見えていました。 父は相変わらず忙しく、町のことを考え、人をまとめ、動き続けていた。 あの人は、そういう人でした。 ある日、電報が届きました。 それを見た瞬間、私は思いました。 祖父だろう。 年齢のこともあり、もし何かあるとすれば、祖父だと思った。 父ではない。父のはずがない。 そう、疑いもしませんでした。 病院へ向かう途中も、現実感はありません。 何かの手違いだ。きっと、そうだ。 そう思ったまま、病院に入りました。 そこで、父の顔を見ました。 その瞬間、足から力が抜けました。 言葉は出ず、頭も回らず、ただ、その場に崩れ落ちた。 電報の文字が、ようやく現実になる。 あれほど大きかった背中が、突然、そこに横たわっている。 親分肌で、町の中心にいて、止まらなかった人。 その人が、もう動かない。 人目を憚らず泣いたのはこの時が最初で最後でした。 その日を境に、家の中の空気は、明らかに変わりました。 忙しさで保たれていた均衡が、静かに、しかし確実に崩れ始める。 私はまだ若く、何を引き受けるべきなのかも、何が終わったのかも、分かっていませんでした。 ただ、一つだけはっきりしていた。...

《第15話》 忙しさの裏で、家族の距離が少しずつ変わっていった。そして、電報が届いた

旅館とレストランが回り、売上が伸び、人の出入りが増えるにつれて、家の中の時間は、少しずつ変わっていきました。 忙しさは活気でもありましたが、同時に、家族が揃う時間を静かに削っていく。 食卓に全員が揃うことは減り、会話は、要件だけになっていく。 誰かが悪いわけではありません。ただ、止まらなかった。 商売が順調な時ほど、止まる理由はない。その前提が、家の中にも浸透していました。 私は高校を卒業し、大学へ進学しました。 家を離れ、外から実家を見るようになっても、状況は大きく変わらないように見えていました。 父は相変わらず忙しく、町のことを考え、人をまとめ、動き続けていた。 あの人は、そういう人でした。 ある日、電報が届きました。 それを見た瞬間、私は思いました。 祖父だろう。 年齢のこともあり、もし何かあるとすれば、祖父だと思った。 父ではない。父のはずがない。 そう、疑いもしませんでした。 病院へ向かう途中も、現実感はありません。 何かの手違いだ。きっと、そうだ。 そう思ったまま、病院に入りました。 そこで、父の顔を見ました。 その瞬間、足から力が抜けました。 言葉は出ず、頭も回らず、ただ、その場に崩れ落ちた。 電報の文字が、ようやく現実になる。 あれほど大きかった背中が、突然、そこに横たわっている。 親分肌で、町の中心にいて、止まらなかった人。 その人が、もう動かない。 人目を憚らず泣いたのはこの時が最初で最後でした。 その日を境に、家の中の空気は、明らかに変わりました。 忙しさで保たれていた均衡が、静かに、しかし確実に崩れ始める。 私はまだ若く、何を引き受けるべきなのかも、何が終わったのかも、分かっていませんでした。 ただ、一つだけはっきりしていた。...

《第14話》旅館の隣で、商売はさらに広がり、売上は頂点にあった

《第14話》旅館の隣で、商売はさらに広がり、売上は頂点にあった

旅館の改装が進む中で、実家は、一つの形に残ることを選びませんでした。 旅館だけではなく、その隣に、和風レストランを始めました。 当時はまだほっともっとやコンビニ、ファミレスも無い 時代だったので繁盛しました。 さらに、名物として鰻の蒲焼を始めました。 父は料理人です。味に対して相対しない。中途半端なものは出さない。 店だけを増やすのではなく、「覚えられる看板」を最初から作っていました。 鰻を焼く匂いが、通りに広がる。 旅館だった場所に、食事の流れがわかって、客層がなんとなく気づいていきました。 この頃、売上はピークを迎えておりました。 数字は、家の中で言葉にされることもありましたが、温かいような空気ではありません。 「回っている」「動いている」 その実感が、家全体になりました。 忙しさは多く、人の出入りは絶えず、毎日が慌ただしい。 広げた結果、数字が出ている。 今のところ論理が、疑われた周囲、成立していた時期です。 私は中学生ですが、この状況を疑問に思うことはありませんでした。 今後、「うまくいってる商売とは、こういうものものだ」みたいだと思います。 旅館があり、レストランがあり、名物があり、売上が伸びている。 商売は、広がることで強くなる。 背負うものは多いが、結果が出ていれば問題ない。 この感覚は、誰かに告げられたものではなく、成功している現場を見続けた結果自然に身につけたものでした。 この時点では、何も壊れていません。 その後、一番うまく回っていました。 だからこそ、この時代の記憶は、その後も「正解だった」という主観を長く残すことになります。

《第14話》旅館の隣で、商売はさらに広がり、売上は頂点にあった

旅館の改装が進む中で、実家は、一つの形に残ることを選びませんでした。 旅館だけではなく、その隣に、和風レストランを始めました。 当時はまだほっともっとやコンビニ、ファミレスも無い 時代だったので繁盛しました。 さらに、名物として鰻の蒲焼を始めました。 父は料理人です。味に対して相対しない。中途半端なものは出さない。 店だけを増やすのではなく、「覚えられる看板」を最初から作っていました。 鰻を焼く匂いが、通りに広がる。 旅館だった場所に、食事の流れがわかって、客層がなんとなく気づいていきました。 この頃、売上はピークを迎えておりました。 数字は、家の中で言葉にされることもありましたが、温かいような空気ではありません。 「回っている」「動いている」 その実感が、家全体になりました。 忙しさは多く、人の出入りは絶えず、毎日が慌ただしい。 広げた結果、数字が出ている。 今のところ論理が、疑われた周囲、成立していた時期です。 私は中学生ですが、この状況を疑問に思うことはありませんでした。 今後、「うまくいってる商売とは、こういうものものだ」みたいだと思います。 旅館があり、レストランがあり、名物があり、売上が伸びている。 商売は、広がることで強くなる。 背負うものは多いが、結果が出ていれば問題ない。 この感覚は、誰かに告げられたものではなく、成功している現場を見続けた結果自然に身につけたものでした。 この時点では、何も壊れていません。 その後、一番うまく回っていました。 だからこそ、この時代の記憶は、その後も「正解だった」という主観を長く残すことになります。

《第13話》 借金は、特別なものではなかった

《第13話》 借金は、特別なものではなかった

  中学3年生になる頃、実家の旅館では、大きな改装工事が行われていました。 外観が変わり、中が生まれ変わり、人の思いが一気に増えました。 職人が出入りし、資材が運び込まれ、空気が常に動いている。 私はまだ子どもですが、「何か大きなことが起きている」今は、はっきりと分かっていました。 その裏で、当然のように大きな借入がありました。 ただ、かなりの金額が動いていることは、空気の家から堅実でした。父から「おれが死んだら返済頼むぞ」とまで言われていました。 でも、それを不安だと感じたことは、ほとんどありません。 それは、商売をする家にとって、当たり前の循環のように見えました。 大人たちは、真剣な顔も見せません。 私は、その空気の中で育ちました。 借入は、危険なものではありません。避けるべきものはありません。 前に進むための道具。 現状認識が、説明されることもなく、体に染み込んでいるのだと思います。 古くなればもう一度。時代が変われば変えられます。顧客が求めるなら、求めます。 そのためには、資金が必要で、資金は、借りても用意します。 この考え方は、誰かに教えられたものではありません。 毎日、目にしていた光景でした。 改装工事が進み、旅館は少しずつ新しい顔になっていきました。 それを見ながら、私は、「商売とは、こういうものなのだと」と思っていました。 無理をすること。背負うこと。進むこと。 その先にあるリスクや重さを、まだ、本当の意味では知りませんでした。 中学生の私は、借入を選択として考えたことはありません。 それは、最初から存在している前提でした。 この前提は、その後、私の判断を大きく支えることにもなり、同時に、危うさを内包することにもなります。 この時点では、まだ、何も問題は起きていません。 ただ、「居ることは当たり前」という感覚だけが、静かに、私の中に根を張っていきました。

《第13話》 借金は、特別なものではなかった

  中学3年生になる頃、実家の旅館では、大きな改装工事が行われていました。 外観が変わり、中が生まれ変わり、人の思いが一気に増えました。 職人が出入りし、資材が運び込まれ、空気が常に動いている。 私はまだ子どもですが、「何か大きなことが起きている」今は、はっきりと分かっていました。 その裏で、当然のように大きな借入がありました。 ただ、かなりの金額が動いていることは、空気の家から堅実でした。父から「おれが死んだら返済頼むぞ」とまで言われていました。 でも、それを不安だと感じたことは、ほとんどありません。 それは、商売をする家にとって、当たり前の循環のように見えました。 大人たちは、真剣な顔も見せません。 私は、その空気の中で育ちました。 借入は、危険なものではありません。避けるべきものはありません。 前に進むための道具。 現状認識が、説明されることもなく、体に染み込んでいるのだと思います。 古くなればもう一度。時代が変われば変えられます。顧客が求めるなら、求めます。 そのためには、資金が必要で、資金は、借りても用意します。 この考え方は、誰かに教えられたものではありません。 毎日、目にしていた光景でした。 改装工事が進み、旅館は少しずつ新しい顔になっていきました。 それを見ながら、私は、「商売とは、こういうものなのだと」と思っていました。 無理をすること。背負うこと。進むこと。 その先にあるリスクや重さを、まだ、本当の意味では知りませんでした。 中学生の私は、借入を選択として考えたことはありません。 それは、最初から存在している前提でした。 この前提は、その後、私の判断を大きく支えることにもなり、同時に、危うさを内包することにもなります。 この時点では、まだ、何も問題は起きていません。 ただ、「居ることは当たり前」という感覚だけが、静かに、私の中に根を張っていきました。

第12話 太鼓の向こう、町の外へ届いていた頃

第12話 太鼓の向こう、町の外へ届いていた頃

松浦太鼓は、最初から独自の形だったわけではありません。 父は、小倉祇園太鼓を基本として学び、そこから松浦太鼓を作っていきました。 型があり、リズムがあり、受け継いできた土台がある。 真似するだけなのでなく、松浦の空気に合う形になって、少しずつ整えていました。 私は、その過程を、すぐそばで一緒に太鼓を叩いてました。 先の父は、何度も人を集め、音を鳴らし続けました。 以前、松浦太鼓は、テレビにもよく取り上げられていました。 地元の話題として、町おこしの象徴として。 カメラが入り、照明が当たり、普段とは違う空気の中太鼓が鳴る。 それは、町の人たちにとっても、誇らしい出来事だったと思います。 私はというと、その場の中心の位置にいました。 父が映り、太鼓が紹介され、町の名前が呼ばれる。 ありがとう、どこか不思議な感覚がありました。 「自分の家のこと」が、「町のこと」になり、「世の中の話題」になってきました。 この感覚は、子どもながらに、強い印象に残っています。 父は、有名になったわけではないと思います。 評価されたい、目立ちたい、そういう動機ではなかった。 ただ、続けるために、広がる必要があった。 太鼓が鳴り続けるために、人が集まり続けるために。 その結果として、外の世界とつながった。 私はその様子を見ながら、一つのことを感じました。 何かを続けるには、 内にこもらず、外向き発信しないと。 外とつながり、外からも見られ、決して形を崩さない。 この感覚は、ずっと後になって、私が商売をする時、何度も思い出したことになります。 音の中にいて、人の流れを見て、父の背中を見ていた。 松浦太鼓は、私にとって文化でも、行事でもあり、「続ける姿勢」でした。

第12話 太鼓の向こう、町の外へ届いていた頃

松浦太鼓は、最初から独自の形だったわけではありません。 父は、小倉祇園太鼓を基本として学び、そこから松浦太鼓を作っていきました。 型があり、リズムがあり、受け継いできた土台がある。 真似するだけなのでなく、松浦の空気に合う形になって、少しずつ整えていました。 私は、その過程を、すぐそばで一緒に太鼓を叩いてました。 先の父は、何度も人を集め、音を鳴らし続けました。 以前、松浦太鼓は、テレビにもよく取り上げられていました。 地元の話題として、町おこしの象徴として。 カメラが入り、照明が当たり、普段とは違う空気の中太鼓が鳴る。 それは、町の人たちにとっても、誇らしい出来事だったと思います。 私はというと、その場の中心の位置にいました。 父が映り、太鼓が紹介され、町の名前が呼ばれる。 ありがとう、どこか不思議な感覚がありました。 「自分の家のこと」が、「町のこと」になり、「世の中の話題」になってきました。 この感覚は、子どもながらに、強い印象に残っています。 父は、有名になったわけではないと思います。 評価されたい、目立ちたい、そういう動機ではなかった。 ただ、続けるために、広がる必要があった。 太鼓が鳴り続けるために、人が集まり続けるために。 その結果として、外の世界とつながった。 私はその様子を見ながら、一つのことを感じました。 何かを続けるには、 内にこもらず、外向き発信しないと。 外とつながり、外からも見られ、決して形を崩さない。 この感覚は、ずっと後になって、私が商売をする時、何度も思い出したことになります。 音の中にいて、人の流れを見て、父の背中を見ていた。 松浦太鼓は、私にとって文化でも、行事でもあり、「続ける姿勢」でした。